3月 14, 2011

地震。の続き

常磐道がまだ通行止めであった為、行きと同様一般道を走り、
途中から首都高速を利用し、先ほど家に帰って来た。

僕たち家族は、妻の実家(茨城県土浦市)にわずか1日半の滞在ではあったが、
家の中の片付けを最大限お手伝いしてきた。

状況を把握すると、家全体が横揺れした為にあらゆる棚から物が落ち、
壁に掛けているものも大半が落ちてしまったようである。

昨日は、まず寝る場所を確保する為に、寝室を全て片付けた。
正直、僕と妻は少しの頑張りで作業を終えたような気がする。
でも母は、「自分の家の現実と絶望感から、どこから手を付けら良いか?」
という気持ちの疲れも有り、また昨晩の避難所でのボランティア(お弁当配りなど
をやる人が足りなかったようで、率先してお手伝いをしたようで、
ほぼ寝ていなかったらしい)での疲れもあり、本当に大変な1日だったのだと思う。

今日は、残りの部屋(リビング・ダイニング・キッチン、トイレ、玄関)を
片付ける。
昨日の作業の感覚から、半日あれば終わるだろうと考えていたが、甘かった。
残りの部屋は、生活の必要なものとして細かいものがたくさん置かれていた為、
片付けも1個1個確認しながら戻すという作業になり、時間が掛かった。
その中に陶器やガラスなどの割れ物も混ざっていた為、持参したゴム付きの軍手
(僕は商売がらたまに使っている)が大活躍。

物の思い出を考えながら、妻と母が片付けている姿を、僕は少しだけ見つめていた。

実家は家の外には被害が無く、家の中の家財道具だけで済んだのは不幸中の幸い
なのかもしれない。
まわりの家は、屋根瓦が崩れて落ちたり、ブロック塀が倒れたりと、
被害が出ている所もあった。




宮城県など被害が大きい地域に比べると、まだ良い方なのかもしれない。
しかし、あまり報道には触れられていないが、母のような家も様々な物が壊れ、
ライフラインの水道・ガスは未だ復旧していない。
つまり、トイレが思うように使えず、風呂には当然入れない。
そして、日常生活の中で、余震は昼夜問わず常に続いている。
このような状況は、肉体的疲労だけではなく、精神的にも本当に疲れてくると思う。
僕はたった1日ではあるが体験し、大変さを肌で感じてきた。

今回の地震では、日本の様々なところで、苦しんでいる人たちがいる。
僕は、計画停電の協力は当然のこと、日々の生活の中で何か自分でも出来ることを、
小さなことでもいいから探して、家族と共に取り組んで行きたいと思っている・・・

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