常磐道がまだ通行止めであった為、行きと同様一般道を走り、
途中から首都高速を利用し、先ほど家に帰って来た。
僕たち家族は、妻の実家(茨城県土浦市)にわずか1日半の滞在ではあったが、
家の中の片付けを最大限お手伝いしてきた。
状況を把握すると、家全体が横揺れした為にあらゆる棚から物が落ち、
壁に掛けているものも大半が落ちてしまったようである。
昨日は、まず寝る場所を確保する為に、寝室を全て片付けた。
正直、僕と妻は少しの頑張りで作業を終えたような気がする。
でも母は、「自分の家の現実と絶望感から、どこから手を付けら良いか?」
という気持ちの疲れも有り、また昨晩の避難所でのボランティア(お弁当配りなど
をやる人が足りなかったようで、率先してお手伝いをしたようで、
ほぼ寝ていなかったらしい)での疲れもあり、本当に大変な1日だったのだと思う。
今日は、残りの部屋(リビング・ダイニング・キッチン、トイレ、玄関)を
片付ける。
昨日の作業の感覚から、半日あれば終わるだろうと考えていたが、甘かった。
残りの部屋は、生活の必要なものとして細かいものがたくさん置かれていた為、
片付けも1個1個確認しながら戻すという作業になり、時間が掛かった。
その中に陶器やガラスなどの割れ物も混ざっていた為、持参したゴム付きの軍手
(僕は商売がらたまに使っている)が大活躍。
物の思い出を考えながら、妻と母が片付けている姿を、僕は少しだけ見つめていた。
実家は家の外には被害が無く、家の中の家財道具だけで済んだのは不幸中の幸い
なのかもしれない。
まわりの家は、屋根瓦が崩れて落ちたり、ブロック塀が倒れたりと、
被害が出ている所もあった。
宮城県など被害が大きい地域に比べると、まだ良い方なのかもしれない。
しかし、あまり報道には触れられていないが、母のような家も様々な物が壊れ、
ライフラインの水道・ガスは未だ復旧していない。
つまり、トイレが思うように使えず、風呂には当然入れない。
そして、日常生活の中で、余震は昼夜問わず常に続いている。
このような状況は、肉体的疲労だけではなく、精神的にも本当に疲れてくると思う。
僕はたった1日ではあるが体験し、大変さを肌で感じてきた。
今回の地震では、日本の様々なところで、苦しんでいる人たちがいる。
僕は、計画停電の協力は当然のこと、日々の生活の中で何か自分でも出来ることを、
小さなことでもいいから探して、家族と共に取り組んで行きたいと思っている・・・
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