3月 12, 2011

地震。

昨日の地震発生から1日以上過ぎた。

僕は、発生時に稲村ケ崎にいた。
今まで生きていた中で、一番大きな揺れを感じた。
道路に立っていたが、地面が横に揺れ、
その揺れが行ったり来たりしているような感じは
本当に信じられない感覚。

でも、特に怪我をすることもなく、無事でした。
幸い、葉山にいた僕の家族もみんな特に怪我をすることなく
本当に安心しました。

葉山の自宅には、特に被害がありませんでしたが、
地震当初から停電となりました。
でも、本当の不安は、津波による被害。

家族で避難すべきか・・・


妻の実家は茨城県土浦市。
僕の家より被害が大きく、家の中の物はぐちゃぐちゃになっているとのこと。
まわりの家では、瓦屋根のところは落ちたりと、被害があったとのこと。
ライフラインは、全て止まってしまったらしい。
それでも、母も祖母も怪我無いという連絡がとれ、一安心。


最終的な僕の決断は、昨晩は横浜の私の実家に泊まり、
今日、妻の実家に向かうことに。


朝になって、電話がつながりにくい中、再度妻の母となんとか話しをする。
ライフラインの中で、唯一電気だけが復旧したとのこと。
そして、避難所から帰宅したとのこと。

僕は朝から、ホームセンターに向かい、水を入れるポリタンク・飲料水・
レトルト食品・片付けをする時のゴム付き軍手・
水が使えないから手を洗えないのでウェットティッシュ・野菜ジュース・
のど飴などなど、を届けるために購入。
妻は、家にあるもので炊き込みご飯を作ったり、煮物を作ったりと準備。
そして、全てを積み込みいざ出発。
高速道路は、首都高が動いているところをチェックしながら進めるところまで行き、
その後は一般道で地道に進む。
普段は2時間弱で行けるところが、約4時間かかり到着。

妻の実家の中は、確かに荒れていた。
でも、母も祖母も疲れてはいたが、笑顔がみれて少し安心。
みんなで出来るだけ片付けをして、何とか寝るところを確保。
明日は、残りを片付けて一区切り出来ればと思い、今日の作業を終えた。


自然の力は、時に、本当に怖い姿をみせる。
報道で、想像を絶する被害を受けた地域・人たちがいること知った。
僕に今何かが出来るわけではない。

ただ僕は自分が出来ることとして、自分の身内を助けることをまずしようと思った。

普段、当たり前に使える、水・電気・ガス。
これが、使えない環境を目の前にして、どのように過ごすか・・・
僕は、普段から、どのような状況でも生きて行くことの出来る力を
備えておく必要があることを、本当に感じた。
子供たちにも、そのようなことを教えていかなくてはならないと痛感した。

まだ、全てが終わったわけではない。
被災した地域の復興は、これから始まるはず。

でもその前に、まだ地震が終わっていない。
今、この文章を書いている間にも、余震はずっと続いている。

まず、早く地震が落ち着いてほしい。
きっと、みんなそう願っているはず・・・

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